井上企画・幡は、カメラマンの井上博道と奈良の麻問屋に生まれた千鶴夫妻が創業した会社です。
博道は、2012年撮影中に倒れ 81歳で他界するまでカメラと共に生き、沢山の作品を残しました。一方、千鶴は麻の風合いを活かしたバッグや生活雑貨を開発し、卸販売や直営店舗を展開。創業から35年、「幡」の名のもとそれぞれのフィールドで、オリジナリティを追求した世界をつくってきました。
井上博道記念館 開館から一年を迎えたこの機会に、井上博道の魅力に改めて迫るべく、広報担当が井上千鶴にインタビューを行いました。
その様子を3回に渡ってお届けします。
前回のインタビューは、こちらをご覧ください
▶ #1 井上博道の軌跡をたどって
▶ #2 井上博道記念館のはじまり
井上企画・幡のこれから
――井上企画・幡の次の世代に受け継いでほしい想いは。
井上 その時代に合った商売をやっていかなければ、会社は存在しない。ということですね。私にとっての「時代に合う」という価値観は、お客さまが私たちの商品を買ってよかったなと思っていただく。私たちも、お買い上げいただいて商売が成り立ってよかったと思う。そして、私たちの「ものづくり」を支えてくれている内職さんや職人さんが、仕事をして良かったと思う、ということ。昔から「三得」とか「三方善」という言葉がありますね。そのバランスって少しのことで崩れたりするので、自分たちで戒めないといけないですし。
また、金銭的なことだけでなく、『井上企画・幡でないと、こういうものは作り出せない』というものを絶えず試行錯誤する、という精神は忘れてほしくないなと思います。オリジナルのモノやサービスを生み出し続けること。これが私にとって、一番大きな想いです。
――これまでやってきた幡のものづくりの「作り手」から、井上博道の「語り手」となった今。変化はありますか?
井上 はい。昔から、私は自分ではものは作れないけれど『こんなものがあればいいな』『こういうことがしたい』というのを考えるのはすごく好きで。今でもそれは変わりませんが、会社のみんながそれをやってくれている、というか。その時代のものを作ってくれている安心感、みたいなものが徐々に自分の中に出来てきたと感じます。
――井上企画・幡の10年後の姿は?
井上 難しい質問ですね。10年前と今を比べても、流通やコミュニケーションツールなど生活が劇的に変わりましたよね。でも、人間はもう絶対変わらないわけですから、「人間としてどうあるべきか」ということでしかないと思いますし、それを会社がどこまで担うかという問題。やっぱり、家庭・学校・会社・地域、それぞれの役目があるんですよ。その役割をもう少し認識して。でも私は、幡は家庭の延長として、会社があってくれたらいいかな、と思います。私は会社を始めてから、常に「フラット」な組織でありたいと考えてきました。それがうちの会社の一番の良さだと思っていますし。みんなが自分の意見を言いやすい。ヨコもタテも関係なく、コミュニケーションがスムーズ。
30年余りのうちに随分と人数は増えましたが、精神的な部分ではそれを忘れたらいかんと思います。組織って、そればっかりで進まないのはわかっていますけど・・・風通しの良い、意見が言い合えるような会社であり続けてほしいと思っています。
娘の千華には、自分のやりたいことをもっとやって欲しいなと。今は忙しい盛りで、物理的に時間が足りないのが一番だと思いますが、自分を信じて時には我が道を突き進んでほしいと思います。
井上企画・幡って人財はすごくあると思うんです。でも、それを最大限活かせているかと言われると、そこはまだまだ。それぞれのスタッフが持つ能力を最大限に伸ばしていけば、会社としてもっと広がっていく。私にとっては、これからが楽しみです。
(取材 2023年6月)
取材者あとがき
「井上千鶴インタビュー」、いかがでしたでしょうか。
この読み物の作成にあたり 井上さんと一対一でお話をしました。日頃、昼食を共にして日常のお話をしたり、仕事の協議をすることはあっても、過去に遡って博道先生のことや、創業のお話を聞くことってなかなか無いんです。
その為、中堅社員の私もこれまで聞いたことがなかったエピソードが満載。『ゼロから会社をはじめることってこういうことなんだ』『こんな想いがモノづくりに繋がっていたんだ』と、今まで見えなかった部分の発見の場となりました。
博道先生のアーティスト活動と共に歩んできた井上さんは、後にそれを未来に繋いでいく。
それもこの会社の大事な「根っこ」なんだな、と。
普段は 蚊帳の商品を企画して、オンラインショップを通して『沢山のお客様に届けたい』という想いで仕事をしていますが、これからは商品だけでなく、私たちブランドの背景や想いも一緒に届けられるようなショップでありたいな、と 幡のスタッフとして背筋が伸びました。